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Japanese

鏡の中の - im Spiegel

中根 秀夫
美には傷以外の起源はない。それは個人的なものだが、各々にとって異なり、見えないことも見えることもあり、それは誰もが自らの内に抱え、携え、そしてこの世界から離れて一時的であれ深い孤独へと向かう時に、そこに退避する。
ジャン・ジュネ

<イマージュ>というフランス語由来の日本語がいまだ有効かどうか。

<イマージュ>という言葉がなにかダイヤモンドの表面ようにまばゆく光を反射していた時代は確かにあったのだ。それは私に、幼い日の日常の、決してモニュメンタルではない、しかし何故か記憶の片隅に刻まれ、ふとした拍子にこぼれ落ちてくるそれを思い出させる。

<イマージュ>、そして<鏡>。これらの言葉は美術批評家宮川淳氏を語る重要な指標であろう。「現代美術」という言葉が「現実」だった時代、あるいは「美術批評」という言葉が...。宮川はわずか10年あまりの執筆活動を経て、1977年に44歳の若さでこの世を去る。まずは宮川が<見る>という事象にとりわけ執着した批評家であることを思い出そう。彼は直截な言葉で<見る>という「奇怪な制度」への意思を切り出す。

しかし、むしろ、われわれは見ることをこそ、もう一度問い直さなければならないのではないだろうか。1

そしてその意思は「美術」を紐解く宮川の、それ自身が美しく光を孕んだ、記号学的で構造主義的な宣言でもある。

むしろ<見る>ことをひとつの意味作用のシステム(意味の伝達ではなく、意味の生産と消費)として定立する必要はないだろうか。<美術>もまたこの意味作用としての<見る>ことに根づく。2

『紙片と眼差とのあいだに』3の冒頭にステファヌ・マラルメの長い引用がある。マラルメの「紙片と眼差とのあいだにひとつの沈黙が領している」という印象的な表現を宮川がそのまま著作の表題に用いたことからわかるように、マラルメのいう沈黙を記述することがこの評論集の主題であり、つまり宮川にとって沈黙の記述こそが<見る>ことの意味にほかならない。それは絵画や文字が記された紙片と眼差の切っ先のわずかな隙間、薄い被膜にあり、それは紙片が眼差に沈黙した後にかすかに響く余韻のようなものでもある。端的にいえばその沈黙とは<イマージュ>のことであり、批評家宮川にとって<見る>ことはすなわち<イマージュ>の記述であるといえるだろう。

 

『鏡・空間・イマージュ』4で、宮川は唐突に<鏡>について語り始める。<鏡>という概念については別の場所で以下のようなことわりがある。

図式的にいえば、おそらく、<近代>のイマジネールな体験を形作るモチーフが時間と内部 ―歴史主義と内部意識の統一としての時間、それはまた空間と外部の排除のモチーフでもある― であったとき、<現代>のそれは空間、外部、表面、そして背後のない表面のたわむれである。―それは現代芸術に、しかしまた構造主義に典型的にあらわれている。そこに現代のイマジネールな体験の原型として<鏡>を想定することを許すものがあった。5

イマジネールとは「構造化」された集団的・社会的想像力のことをいうが、宮川はここで極めて「直感的」に<現代>と<鏡>とのあいだに共通項を見いだしていることがわかるだろう。時間と内部に縛られた<近代>から空間と外部を解き放つ<現代>へ。そこで宮川は内部と外部の境界である「表面」という概念で<現代>を捉え、また「背後のない表面のたわむれ」として<現代芸術>を見出している。「背後のない表面」とはすなわち<鏡>である。鏡はガラスの裏面に銀などの金属を蒸着したものであり、その裏面より先の深さ/内部が存在しない「表面」の世界である。

鏡、あるいはこの底なしの深さのなさ。それが鏡の中に入ることをひとに夢みさせるのだ。そして鏡の中で、ひとは無限に表面にいる。われわれはそこでは決して奥にまで達することはできない。6

ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』では<鏡>の国はチェスボードの「表面」の移動として描かれる。哲学者ジル・ドゥルーズによれば、「表面」という概念はキャロルによって『不思議の国のアリス』から『鏡の国のアリス』に移行する間で見いだされたものだという。 7またそれはどこか「メビウスの輪」をも思い出させる。キャロルの最後の小説『シルヴィーとブルーノ』でドイツ人の老人がミュリエル嬢に語る幸運の財布は、ハンカチの端を不思議なやり方で縫い合わすことで外部表面が内部表面と繋がり、結果的に世界の全てを内包してしまうのである。8 表面の裏側はまた表面である。

 

宮川はまたこんなふうにも語る。

しかしまた、それは鏡の底、鉛のような暗い物質の存在と、あなたの顔を映し出す明るい表面とのなんと見事なイマージュでもあることだろう。すべてを映し出す明るい鏡面の輝き、しかし、それを支えるのはこの暗い不可能性であるとは。9

これは彫刻家アルベルト・ジャコメッティ(1901~1966)について言及される部分である。宮川のいう不可能性とはいかなる意味か。もう少し長く引用しよう。

距離は見ることの可能性である。見ることが可能になるためには、わたしと対象の間に距離を必要とする。それはわたしのイニシアチヴに属し、またそのこと自体によって、同時に対象に属するものともなる、いわば透明で、機能的な空虚ともいえるだろう。わたしはいつでも、その距離を消滅させ、見ることをやめることができる。だが、この見ることの可能性にほかならなかった距離が、突如、ほとんど実体的な空虚として不透明に凝結し、わたしと対象との間に立ちはだかる。鏡。それはもはやわたしのイニシアチヴに属さないばかりでなく、また対象にも属さない。わたしは対象にふれることによってそれを消滅させること、つまり見ることをやめることができない。距離が見ることの可能性であるならば、<見ないことの不可能性>、それが鏡であり、その魅力なのだ。

この見ることをやめることのできない眼、閉じることを忘れてしまった眼が見ているもの、それはまさしく鏡に映っているもの、対象そのものではもはやなく、イマージュ、すでにそれ自体イマージュと化してしまった対象でなくてなんであろうか。10

わたしたちが「現実」と呼ぶ世界に於て存在する「対象」と「わたし」との関係。それは<見る>という「可能性」に属していると同時に<見ない>という選択肢としての「可能性」にも属しているのだ。しかし、<鏡>に映った世界は「対象」から「距離」が剥奪され、「表面」の世界として<イマージュ>を現前させる装置となり、もはやそれは実体を参照することを停止してしまう。これが宮川のいう<鏡>の「不可能性」であろう。<鏡>に映った「それ」はもはや「対象」そのものではなく、実体的な空虚としてイマージュと化した「対象」であり、「それ」はもはや自分のイニシアチヴに属さない世界の出来事なのである。閉じることを忘れてしまった眼...。<見ないことの不可能性> 。だが、はたして宮川はそのレトリックでジャコメッティを語りえたのか。

ここでもう一度冒頭の『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』の引用を読み返してみる。『泥棒日記』などの著作で知られる小説家ジャン・ジュネの書いたそれは、宮川をして「数少なくないジャコメッティ論の中でおそらくもっとも美しい」と言わしめ、宮川はまたその最初の翻訳者でもあるのだ。 11

美には傷以外の起源はない。それは個人的なものだが、各々にとって異なり、見えないことも見えることもあり、それは誰もが自らの内に抱え、携え、そしてこの世界から離れて一時的であれ深い孤独へと向かう時に、そこに退避する。

1958年のこと。東京の南画廊で、日本で最初のジャコメッティ展が矢内原伊作(1918〜1989)の手によって開催された。矢内原は哲学者で、ジャコメッティの研究者としても多くの著作を残している。展覧会と同年、矢内原が編纂したジャコメッティの画集12が出版され、そこにはジャン=ポール・サルトルの「ジャコメッティの絵画」と矢内原の論文・エッセイとともにジュネの『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』(宮川訳)も収録されている。13

ところが興味深いことに、この画集に少なくない頁を割く論文集から、ジュネの珠玉のジャコメッティ論の、最も美しい上記引用部分を含む冒頭2段落がすっかり抜け落ちているのだ。これは恣意的とまではいえないにせよ、実存主義者の矢内原であれ構造主義者の宮川であれ、彼らの眼にはこの書き出しがあまりにジュネ自身の魂の叫びに偏りすぎているとの批判が読み取れなくもない。「本質」をあからさまに語るジュネ。だがここで、わたしたちは<傷>という「美の起源」についてもう一度考えてみるべきではなかろうか。

いかに世界とその歴史とがある不可避な動向の中にまきこまれているように思えるか、そのさまを目のあたりにして、どんな人間もおそらく、恐怖ではないにしても、一種の悲しみを味わったことがあるにちがいない。日ましに拡がってゆくこの動向は、いよいよ粗雑さを加える目的のために、ただ世界の眼に見えるあらわれだけを変えることを旨としているかにみえる。この眼に見える世界が今日の世界の姿なのであり、それに働きかけるわれわれの行動も、それが絶対的に別のものであるようにすることはできないだろう。だから、ひとびとは、郷愁をこめて、ひとつの宇宙に思いを馳せるのだ。14

かくのごとくジュネのジャコメッティ論は始まる。それはなんと美しく、そして深い悲しみを湛えた「眼」であろうか。これは<鏡>の世界ではなく現実のわたしたちの世界なのだ。ジャコメッティも現実の人間と事物を見つめ、その「見せかけ」と「本質」を選り分ける「眼」を持ちえた。

ジャコメッティの芸術はあらゆる存在、のみならず、あらゆる事物のこの秘められた傷を見いだそうとのぞんでいる、この傷がそれらの存在や事物を照らし、輝かさんために。私にはそう思える。15

そう、<傷>である。そしてこの<傷>こそがダイヤモンドのように光を孕み、存在と事物を照らすのだ。ジャコメッティは長時間にわたってモデルを拘束してその対象を見据えた。画面には<傷>のような描線が重ねられ、それはしばし絶望とともに消し去られ、しかし翌朝には新たな希望を携え画面に<傷>を刻み始める。それが何ヶ月も、時に何年にもわたって繰り返されるのだ。

ジャコメッティが対象を真摯に見据えるさま、それは私に、宮川とはまた別の意味での<鏡>を想定させる。彼の日々の仕事は、あたかも<鏡>の上に鉛筆で描くような徒労の連続である。すでに<鏡>の上は自らを映す像(イメージ)に占拠され、その固く不気味なカルトンの上のイメージが、自らが刻む大量の<傷>で覆い隠されるとき、その素描は他者、そして対象を画面に捉えることができる、私にはそう感じられる瞬間がある。「対象」と「わたし」との関係に於て、その「距離」ではなく「わたし」を、「わたし」自身のイメージを時間をかけて消滅させること。<鏡>を破壊してしまうのではなく。それが<鏡>の、その極めて現代的な<イマージュ>ではなかろうか。ジャコメッティは対象の<傷>を見つめ、だからこそ彼は<傷>をもってその<傷>を描き、そうして出来た<イマージュ>はやはり<傷>だらけになってしまうのだ。しかし、それはなんと美しい<傷>なのだろう。<鏡>の表面に刻んだ<傷>が、そして白い紙の表面の描線が、いつしかダイヤモンドのように16光の反射できらきらと輝くさまをその目に浮かべよう。

宮川のいう<鏡>の底なしの深さのなさ。しかし...例えばこんなことを考えてみよう。<鏡>はガラスの裏面を金属でめっきしたものである。つまり<鏡>の明るい表面と暗い金属の底の間に1枚の透明なガラスがあり、そこには当然のことながらガラス1枚分の「深さ」が存在する。それは5ミリほどの空虚の距離である。試みに<鏡>の上に林檎をひとつ置いてみよう。実際の林檎の底と<鏡>に映った林檎の底にはわずかな隙間が見えるはずだ。それが<鏡>の厚みであり、<鏡>自体の空虚である。「背後のない表面」としての<鏡>の概念はいまだ<イマージュ>の根源として有効であると思う。しかし、<鏡>自体の深さ/空虚を人は自由に使うことができる。写真のガラス乾板。もしくはスピノザの磨くレンズ。 

<傷>にはそれ自体に深さがある。紙の上の描線を指でなぞれば、そこにあるわずかな窪みで深さを感じることができるはずだ。皮膚に刻まれた傷も心に刻まれた傷さえも。また、キャンバスであれ紙であれ、どんな支持体にも<傷>に耐える1枚分の厚みという深さが存在し、美術家はその空虚の深さの上に<傷>を刻み、作品を作品として浮かび上がらせることができる。それはいまだ「表面」の出来事であり、それを<イマージュ>と呼ばずして何といおうか。

 

2012年5月 展覧会によせて

なかねひでお

 

  1.  宮川淳著作集1』美術出版社 1980年  p.401 「<見る>こと」より
  2.  前掲 p.438 「中原佑介著『見ることの神話』 より
  3.   エパーヴより1974年に出版。
  4.  美術出版社より1967年に出版。
  5.  前掲 p.460 「ジャック・デリダと鏡の暴力」 より
  6.  前掲 p.259 「ジル・ドゥルーズの余白に」 より
  7.  「出来事は、表面で、物体から漏れ出る非物体的な薄い霧の中で、物体を取り囲む体積のない表皮の中で、物体を映し出す鏡の中で、物体を平らに並べるチェスボードの中で探し求められる。」ジル・ドゥルーズ 『意味の論理学 (上)』小泉義之訳 河出書房新社 2007年 p.31
  8.  その財布の内側はどこも外側で、外側はどこも内側なのです。だからこの世のすべての富がそのちーっちゃな財布の中に入っているのです! ルイス・キャロル『シルヴィーとブルーノ』
  9.  前掲 p.57 「鏡について******」 より
  10.  前掲 p.15 「 鏡について*」 より
  11.  『ジャン・ジュネ全集 <第3巻> 』新潮社 1967年 引用部分は拙訳
  12.  『ジャコメッティ』みすず書房 1958年 矢内原伊作編
  13.  『アルベルト・ジャコメッティ展』図録 2006年 「矢内原伊作資料の調査からー『ジャコメッティとともに』出版のプロセスを中心に」李美那
  14.  『ジャン・ジュネ全集 <第3巻> 』新潮社 1967年 『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』 p.423
  15.  前掲 p.424
  16.  前掲 p.439

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