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Japanese

海のプロセス-言葉をめぐる地図アトラス リリース・ノート

中根 秀夫

言葉はリアルタイムな活動を支えるツールであり、日々の生活の中で加速度的に増幅しているように見えます。一方で、言葉は過去にも未来にも広く参照点を持ち、私たちの思考を多様にする開かれた世界でもあるはずです。混沌とした日常に身体を預け、日々を思う時間を言葉と共にする。自重すら支えきれない多層化した身体と言葉が、ついにはその場で崩れ落ちるとしても、またその平原に別の世界が形作られることについて夢想するのです。

 

「そうなっていたかもしれない」ことも「そうなっている」ことも
所詮は同じことで、いつもそこにある。
足音が記憶の中にこだまを響かせながら
まだ通ったことのない狭い路地を辿って
まだ開けたことの 扉に向かい
バラ園に入っていく。ぼくの言葉も
そんなふうにきみの心にこだまする。
T. S. エリオット1
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地下3階の展示室は暗い身体であり、壁の小さな穴は東京府美術館の開館(1926年)当時の世界と繋がっている。やがて萌芽しかけた近代と別れを告げ、立ち込める暗雲とともに言葉は絞殺されるだろう。薄曇りのレンズを通すと、それが現在の雲行きと微妙に重なって見える。身体という函の内部/外部と美術に於ける言葉との関係について考察する装置として、この場所を定義したい。

夜明け前の海。寄せる波音は私たちの身体の内部と外部を行き来する。やがて僅かな白い光が水の面を覆う。白い波は青いガラスの表面を削り、それを砕き、ボトルの内奥の秘められた言葉と文字を運び出す。暗い砂浜に、それは静かに降り積もるだろう。

ロラン・バルトは「凪いだ海の表面と同じように、私は(写真の表面を)目で走査することしかできない」2という。バルトはそれをカメラ・ルシーダ(明るい部屋)という写真以前の写生器具になぞらえる。しかしそれは完全な光の下でプリズムを通して写真を「見る/読む」行為であり、一方で私たちが暗闇の中の僅かな光を感受するには、やはりなおカメラ・オブスクラ(暗い部屋)が必要だ。

暗い函の内側から一点の小さな穴を通して外の世界を見る。世界をシステムの裏側から眺める。それは暗い身体の内から空間に放たれた言葉の裏面を見ることと似ている。行間ではなくエクリチュールの裏側を、その宙に舞う鏡像の地図を文字通りに追いかける。地図をたどるとは文字をなぞることであり、折り畳まれた記憶の番地を訪ね歩くことでもある。

たとえ身体という函の内部と外部がともに暗闇だとしても、海に洗われる白い光のプロセスを巡り、磨りガラスのレンズと言葉の地図(アトラス)を頼りに世界を彷徨い続けるべきなのだ。

瓦礫となった私から立ち上がるためには、飛ばなければならなかった。私は飛んだ。
『クレーの日記』より3
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1926年5月、日本で初めての公立美術館として東京府美術館が開館した。時代を振り返れば、1925年に普通選挙法と治安維持法が同時に施行され、その後は世界恐慌による経済の悪化から満州事変へと続く流れの中で美術家の活動は次第に制限されていく。1940年に「紀元2600年奉祝展覧会」の開催、41年には瀧口修造と福沢一郎の検挙、投獄。12月に太平洋戦争が開戦すると、美術家は弾圧に屈するか戦争協力をするかという時局に突入する。それは「言葉」が絞殺された時代であると言えるだろう。

また、こんなことも考えてみる。1933年、ヴァルター・ベンヤミンは、総選挙でのナチス勝利をラジオで聴きながら各政党の得票率を書き留め、その数字の下に「死んだ鳥」を素描した。死んだ鳥には「選挙の鳥」(Der Wahlvogel)と記されている。テーブルと思われる矩形に横たわるその鳥は、頭部を右を向け、くちばしは肥大し、瞳が無い4

ユダヤ人であるベンヤミンは、この後ベルリンからパリへ移住を迫られることになる。1940年にパリが陥落すると再び流浪の民となる彼は、スペインへの入国を拒否された翌日に自ら命を絶つ。旅の間も常に携えたパウル・クレーの『新しい天使』5という水彩画は、ベンヤミンの死後にゲルショム・ショーレムの手にゆだねられる。「歴史の天使」である。

戦後72 年、東日本大震災から6年の月日を経て、私たちが社会に於いて直面する様々な問題は、例えばSNS のような直線的で加速度的な「言葉」の増幅によって逆に「言葉」の劣化を招き、さらなる混沌へと歩みを進めているようでならない。「言葉」はリアルタイムな活動を支えるツールであるとともに、本来は過去にも未来にも広く参照点を持ち、私たちの思考を多様化する開かれたものであるはずだ。「言葉」のあり方を問い直すことによって、混沌とした私たちの日常に与える秩序について考えている。

 

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「言葉」に制作の比重を置く美術家は少なからず存在するが、例えばポップ・アートやコンセプチュアル・アートとの関連だけではなく、実際にはもう少し広い視野での接続の可能性があるだろうと、私たち(という概念)は思考する。「言葉」はひとつのイメージであり、特に身体あるいは身体性と強く関連を持つ。

展覧会タイトルの『海のプロセス』6は、打ち寄せられたガラス瓶の破片の再生、あるいは時間や記憶の再生産とその物語的構築のプロセスを意味するが、それは繰り返される時間の波に摩耗され形を変えて降り積もる「言葉」のイメージでもある。 夜明け直前の海に立つ時7、寄せる波音が私たちの身体を行き来するように、私たちの暗い身体の内側に「光」を感受し「言葉」を受動することについて考察される。

東京都美術館の地下3階の展示室は、中央の4本の太い柱によって支えられている。展示空間の中でのその視覚的な障害物を逆に利用し、移動による視界の変化を「体験」とすることが肝要だ。空間と触れる身体としての体験が、各々の記憶/言葉と共鳴するとき、外部(作品の空間)と内部(自己)を繋ぐ「地図」というエリアの概念が発生する。暗闇、あるいは混沌の中で、4人の作家が広げた「言葉をめぐる地図」をコンパスを携え辿っていく行為は、私たちの内に折り畳まれた記憶の地図を私たち自身が広げ、その地図に割り振られたひとつひとつの記憶の番地を訪ね歩く8というさらなる私的/詩的体験を促すだろう。薄闇の、微かな光とともに…。

「アトラス」9について、例えば各作品の内に畳まれた言葉を広げ、それらすべて線で結んでみることを想像(イメージ)する。それはリニアな結合ではなく、過去にも未来にも自由に繋がる幾通りもの道筋であり、そこに交通が生まれ、新しい地図(イメージ)が生まれる。広げられた地図にアクセスする私たちは、自らの身体で新たな回路/道を開き、そのネットワークは言葉を通じて拡張し、連結し、そして私たちの社会をめぐる地図を束ねた「アトラス/地図帳」となることを想像している。一方でその新たな結合は切断を伴うイメージでもあり、瞬間瞬間に断片化されては多層化され形を変える「コラージュ」のイメージでもある。

 

出品作家について

ほぼ同世代である4人は、異なる創作活動を経た今、ひとつの切実なる美術の形を提示したいと思っている。以下参考として各作家の作品の特徴について記す。

  • 中根秀夫は、紙、ガラス、鏡などの素材を用いたインスタレーションで、社会的と個人の記憶をテーマにした批評的な作品を手がけてきた。最近では映像や写真を用い、詩人や音楽家など他分野のアーチストと積極的に関わりを持つ。平田星司と共同して美的日常をテーマにした「Aesthetic Life」というシリーズの展覧会の企画も手がけている。

  • 平田星司は、例えば描くもの/描かれるもの、あるいは描画材/支持体のような一見対立する概念を反転させる、不条理さを伴うコンセプチュアルな行為を作品としている。素材は多岐に渡るが、その素材とリリカルな関係を持った言葉を扱うインスタレーションを特徴とする作家である。

  • 井川淳子は、石や紙などの素材を用いた制作活動を経て、現在は銀塩写真による作品の発表を続けている。深度の深い視座を持つイメージからは「不在」の概念を抽出できるが、そこにはシャッターが切られる以前の時間と言葉が「気配」として存在する。それは例えばデュシャンの言葉「アンフラマンス」とも呼応する。

  • 福田尚代は、独自の言葉に対する概念により創作を続ける。福田の中で「言葉」は実体があり手で触れることのできる「言葉の粒子」として世界を満たし、それは過去や未来と行き来している。バラバラにされ意味を失った言葉の粒子ひとつひとつを携え、そこから全く新しく鮮やかなイメージと連結させ世界に還元する作品を制作する。

 

2017年

なかねひでお Aesthetic Life+

 

  1. T. S. エリオット『四つの四重奏曲』森山泰夫訳 大修館書店、1980年 「バーント・ノートン」より
  2. ロラン・バルト『明るい部屋 写真についての覚書』花輪光訳 みすず書房、1985年
  3. パウル・クレー『クレーの日記』ヴォルフガング・ケルステン編 高橋文子訳、2009年 「1915年の日記」より
  4. 河本真理『切断の時代 20世紀におけるコラージュの美学と歴史』ブリュッケ、2007年 「第3章4《新しい天使をめぐって》」
  5. ベンヤミン『歴史哲学テーゼ(歴史の概念について)』野村修訳 第9のテーゼにはクレーの『新しい天使』について以下のように書かれている「それにはひとりの天使が描かれており、天使は彼が凝視している何ものからか、今にも遠ざかろうとしているところのように見える。彼の目は大きく見開かれていて、口は開き、翼は広げられている。歴史の天使はこのような様子であるに違いない。(中略)しかし楽園から吹いてくる強風が彼の翼にはらまれるばかりか、その風の勢いが激しいので、もう翼を閉じることはできない。強風は天使を、彼が背中を向けている未来の方へ、不可抗的に運んでゆく。」
  6. 平田星司の同名の作品のタイトル《海のプロセス》から。
  7. 井川淳子の「海」を撮った写真《すべての昼は夜》。
  8. 福田尚代の今回は未出品の作品を思う。
  9. アトラス(アトラース)はギリシャ神話に登場する神。ゼウスとの戦いに敗れたアトラースが世界の西の果てで天空を背負うという苦役を強いられたという神話による。地図帳のことをアトラスというのは16世紀にフランドル出身の地理学者ゲラルドゥス・メルカトルが、地図帳の表紙としてこのアトラースを描いたことに由来する。建築では男性の彫刻を柱として用いたものをアトラスともいう。また井川淳子の写真のシリーズの名前でもある。

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